459792 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

がみ流

がみ流

小説「月夜と幽霊と変わり者たちと」

『月夜と幽霊と変わり者たちと』





「肝試しなんていかがですか、先輩方」
 突然そう言い出した後輩の話を、僕は呆れ顔で、詭弁と蘊蓄が饒舌な友人は無愛想な仏頂面で聞いていた。
「学校近くに大きな神社があるでしょう。その裏の古井戸を月の綺麗な夜に覗き込むと、青白い顔をした少女が見えるんですって。どうです?今日は満月ですし、暑い日にはもってこいじゃないですか」
 僕は馬鹿馬鹿しくて溜息を吐いた。
「自分の姿でも見間違えたんじゃないの?」
「でも、みんなが口を揃えて女の子だって言うんですよォ?」
「誰かさんは、トイレットペーパーを抱えた泥棒を幽霊と間違えて腰を抜かすくらいだからねぇ。枯れ尾花も御堂の薮蚊も幽霊に見えるから、肝試しの必要がないんだよ」
 友人が冷笑を浮かべて僕を一瞥すると、後輩はプッと吹き出した。
「行くよ!行けばいいんだろっ!!」
 僕は恥ずかしさと悔しさで真っ赤になりながら、そう叫んでいた。

 青白い月の光が降る鬱蒼とした神社。嬉しそうに懐中電灯を振りながら先導する後輩、見るからに不健康そうな痩せぎすで血色の悪い友人、火の玉でも飛びそうなくらい陰鬱な僕。……百鬼夜行図よりタチが悪い。
「昼間は何も見えないんですよ。夜限定ってところがホラーな感じでいいじゃないですか」
 階段に良いも悪いもあるか、と僕は心の中で呟いた。
「あぁ、ここです、こ……」
 後輩の声が凍りついた。僕と友人は懐中電灯の光が指す方を見た。
 古井戸……の前に立つ、白い服を纏った、青白い顔の……
「出たぁあッ!」 僕と後輩は同時に叫んでいた。が、友人は一人平然として、後輩の落とした懐中電灯を拾うと、それを幽霊に向けた。
「すみません、常識知らずな友人が失礼を」
 友人は幽霊に頭を下げると、苦笑を浮かべて僕たちの方を見た。
「この方は古井戸の幽霊じゃないよ。男性だし、ちゃんと足もある」  僕は拍子抜けした気分だった。それは後輩も同じことだろう。
「貴方も幽霊に会いに?」
 友人が尋ねると、男はくすくすと気違いじみた笑い声を零した。
「眠り姫に会いに来るんですよ。美しいでしょう?彼女。一人じゃ冷たくて寂しいかもしれないけど、ずっと美しいままでいられるんだから、彼女も幸せですよね?」
 男は背筋が凍るような笑みを浮かべると、ふらりふらりと歩き出した。
「ちょっとアブない人ですか?」
 後輩が怪訝な表情を浮かべていた。僕は曖昧に笑いながら首を傾げた。
 突然、ものすごい勢いで友人が井戸の中を覗き込んだ。
「ど…どうしたの?危ないよ」
「あれ、が見えるか?」
 僕も後輩も井戸を覗き込んだ。水面に何かが映っている。はっきりとは見えないが、少女と言われればそんな気もする。
「こんなもん、昼間は見えませんよ」
「光の入る角度と水の問題かな。条件が適合して巧く屈折した時だけ見えるんだ」
「で、あれは何なんだ?」
「死蝋だよ。中性脂肪が加水分解して不飽和脂肪酸がステアリン酸と……」
 友人は言葉を止めた。化学の講義をしている場合じゃないと思ったのだろう。
「湿度の高い涼しい場所だとできる、人間の死体が鹸化したものだ」
「うへぇ!じゃあアレは死体なんですか!?」
「警察を呼ぶべきだね」
 僕は目眩を感じ、ゆっくりと意識を手放した。井戸の底に死体があることよりも、正直それを淡々と語る友人の方が怖かった。
 勘弁してくれよ、とぼやいた友人の言葉が、どこか遠くで聞こえた。

 その後、友人の言葉通り井戸から死体が発見された。町中がその話題で大騒ぎしているが、受験生の僕にはそんな余裕がなかった。
「相手が死蝋じゃ検死も大変だろう」
 医学書に目を通しながら、友人はそう言った。
「あの男が殺したのか?」
「捕まったってニュースは聞かないな。しかし、あの男はもう眠り姫に会えなくなったんだ。どうするんだろうね」
 友人は意味深に薄く笑った。
「今度はあの井戸に男の姿が映る、なんて噂が立たないことを祈るよ」
 僕は本当に怖いのは幽霊でも怪談でもなく生きている人間なんだ、と当たり前のことを考えていた。


© Rakuten Group, Inc.